ソレは、とても細い。

とても細くて、弱い。


ぴんと張って、尖らせた爪をその上で引く。

ぷつりぷつりとさらに細かな繊維になって、切れる。



そんなもの。






運命の赤い糸、なんて。

儚いものの喩えとして使われそうだと思う。






「……黄瀬君、何してるんですか。」

「裁縫…っス。」

「…なんで、と聞いた方がいいですか?」

「…授業中に終わらない分は持って帰ってやって提出、だそうです。」

高校にも副教科はあるもので。

体育やら家庭科やらはその部類に入る。



もちろん黄瀬とて裁縫が苦手なわけではない。

だからといってもちろん大の得意で大好きでたまらない、というわけでもない。

それでも家にまで持ち帰ってやる理由などは簡潔だ。



「どうせ、授業中に女の子たちに教えていて終わらなかったんでしょう。」

「ちょ、オレからじゃないっスよもちろん!ただ教えてって来るんスよ!」

断らないで笑ってる君も同罪ですよ、なんてことを黒子は言わない。

左様ですか、と適当に言うと、自分は机の上に広げた問題集に戻った。


「全く、一緒に宿題しようなんて君から誘っておいて。」

「だってコレが宿題なんスもん。黒子っち、もしかして裁縫苦手だったり、。」

「え?裁縫というのは針を自分の指に突き刺して布に血を落とす行為のことですか?」

「ごめんなさいそういや無茶苦茶苦手だったっスね…!」

中学時代を思い出すと、黄瀬はへらりと笑った。


黒子が裁縫をその授業中に終わらずに放課後にまでやっていたときのこと。

それはもう見ている方が痛いくらいに、黒子は指に刺した。

何度針を刺しても自分でやると言ってきかなかったため、結局キセキの面々は、黒子に強制的に針を通さない手袋をさせて縫わせていた。

嫌がる黒子に無理やり手袋を嵌めさせたのは他でもない青峰だった。

「部活に支障が出る」と言い、黒子をうまく丸めこんだのだ。


それでもその時の青峰は、バスケより何よりも、単に黒子の手が傷つくのを見るのが嫌だったことを黄瀬は知っていた。

それはキセキ全員がそうだったため、他のメンバーも大人しくその光景を見ていたのだ。


その時のことを思い出しては、思わず笑みがこぼれる。




「……何ですか。僕が裁縫苦手なのがそんなに面白いですか。」

「ち、違うっスよ!むしろそれはものっそい可愛いと思っ、」

「僕、黄瀬君の口なら上手く縫える気がします。」

「ちょぉおお怖!怖いっスからね!某ホラー映画みたいっスよ!」

シャープペンを文字を書くためとは明らかに違う格好で黒子は構えた。

言うなれば、突き刺す構えだ。


それでも、おろしてね、あぶないからね、と黄瀬が黒子を宥めれば、黒子はあっさりとペンを落ろした。




「まったく、バカなことしてないで、とっととやったらどうですか。」

「黒子っちついに責任オレに丸投げスね!」

「何か文句でも?」

「滅相もない!」

ぶんぶんと黄瀬が自らの顔の前で両手を振った。

黒子はそれを興味なさげにみると、何も言わずに再び問題集に視線を落とした。










カリカリカリ。


静寂の部屋に、黒子の文字を書く音だけが響く。

黄瀬はそれを聞きながら、そっと手元の布から顔を上げて黒子を見た。

特に好きではないものに対して集中力が持続しないのはいつものことだ。


じ、と見つめても、目の前の黒子は反応を示さない。

気づいていないのか。気づけないのか。はたまた気づいていないフリをしているのか、傍から見ているだけではわからない。


まつげ、長いなあ。なんて、ついそんなことを考えてしまう。

正直、自分だって短くはない。

というか多分男の中でも長い部類に入る、はずだ。

最近の女の子のまつげはびっくりするくらいに長く、くるりとしている。

あれは適度ならまだしも、つけすぎているのはたまにちょっと怖いと思う。

一緒に仕事をするモデルの子の目には、たまに驚かされる。


それに比べ、黒子っちはあれだ、肌が白いから、その分まつげが肌に影を落としているのが、なんとも言えない。

はたはたと瞬きを繰り返す仕草にすら自分の心臓が高鳴るのは、惚れた弱みと言うものだろうか。





ああ、本当に、この人を、自分だけのものにしてしまえたら。

閉じ込めて繋いでどこにも行かないよう見張ってしまえたら、どれだけ良いのだろう。



そこまで考えると、無意識に口元が上がっていることに気づく。

どうせ出来っこないことを考えている自分に笑えるのだ。




(だって、そんなことをしてしまっては、彼はオレの好きな彼で無くなってしまう。)







かたん、と裁縫箱に右手に触れた。

その拍子に糸がぽとりと床に落ちる。

それを拾うと、元に戻そうとして、手を止めた。




「ね、黒子っち。」

「はい?」

「手ェ出して。」

「左でいいなら。」

「もちろん。」

断るのも恐らく面倒になのだろう黒子は、テーブル越しに左手を黄瀬に差し出した。

黒子の視線と右手は未だに問題を解くことに必死になっている。




ひらりと出された黒子の細い小指と自分の小指に、黄瀬は先ほど拾った糸を縛った。

痛くない、それでも解けない程度に。



「かんせー。」

「…何やってんですか。」

「赤い糸っス!」

「切りますよ。」

黒子はいつの間に筆箱から取りだしたのか、ハサミを右手で構えた。


「まま待って黒子っち!」

「なんでですか。」

「だって運命の赤い糸!」

「こんなもの信じてるんですか?」

こんな、簡単に解けてしまうものを?


黒子は言いながら、蝶々結びにされた糸の端に、ハサミでゆるりと触れた。

糸は何の抵抗もなく、ただ揺れている。



「解けないように、細かく結べば解けないっスよ。」

「そうですか?ハサミで簡単に切れますよ。」

「糸を特殊に硬く作れば切れないっス。」

「だけど、所詮は小指に巻いてあるものですからね。」

その小指ごと切り落としてしまったら、糸も一緒に落ちますよ。

体の、それもそこまで重要視されない一部が失われるにすぎませんよね。

小さなことです。



黒子は、今度はハサミを自らの小指に当てた。

ひやりと冷たい感触がする。



「所詮、そんなものですよ。」

「でも、」

「だったら、」

黄瀬の言葉を遮ると、黒子は、黄瀬の指に結ばれた糸をするりと解いた。

何か言いたげな黄瀬を無視して、それを黄瀬の首に巻く。

苦しくない、痛くない、それでも食い込む程度に糸は縛られた。





「だったらいっそ、首にでも巻いておいてください。」




糸を切りたい時には、首を落とさないと外せないような。

糸を外したい時には、命も落とさなければいけないような。


赤い糸は、きっとそのときに流す血の色と同化する。

鮮やかな赤は血に塗られ、乾いた時には黒い色になる。








「なにか、ご不満な点は?」

至近距離で黒子が笑う。

その光景に、黄瀬は降参とばかりに両手を上げた。





「全く。」







彼を自分だけのものに、なんて、なんて愚かな考えだったのだろう。

だって、もう既に、オレ自身が君だけのものになっていただなんて。





ゆるりと腕を伸ばし、黒子の指からも糸を解いて、同じように首に巻く。

首に垂れた糸は、まるで血の様で、白い首筋によく映えた。










糸を解きたかったら、いっそのこと、その命ごと落としてしまえ。


大切なんでしょ、必要なんでしょ、

小指なんて不安定な場所よりも、首に巻いておけばいい。






「まあ、オレがこれを切るときは、黒子っちが切るときっスね。」

「その時は自分の糸を切った後、君の糸を首ごと噛み千切ってやりますよ。」




運命だなんて、ロマンチックなものじゃない。

むしろコレは、共に罪を背負う共犯者。





(互いに互いを閉じ込めて、鍵なんか捨ててしまえばいいだけの話。)





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裁縫は痛いですね。