「……うわ…。」

「うわってなんスか黒子っちぃいいぃい、ぃげ、ほ、」

げほげほと黄瀬は勢いよくむせると、半分涙目になりながら黒子を見上げた。

黒子の手には、37.8℃と表示された体温計。



「バカも、風邪ひくんですね。」




黄瀬君が風邪をひきました。

(バカなのに!)




「あーくっそ、もー…。」

「何唸ってるんですか。大人しく横になって息絶えてください。」

「そこは安静にしててくださいとかにしてね!」

「いいから騒がないでくださいよ。」

半ば強制的に黒子が黄瀬をベッドに押し付ける。

ついでとばかりに額をべちんと叩けば、叩かれた本人はへらりと笑っている。




「だってね黒子っち、おかしいと思わないっスか。」

「おかしいと思いますよ。君の脳が。」

「普通さ、看病イベント発動☆ってなったら黒子っちが風邪ひくでしょ!」

「そんな普通、生憎僕の辞書には入っていないもので。」

「潤んだ眸、蒸気した頬、いつになく弱気、オレに甘える黒子っち!」

「……。」

「「黄瀬君、一人じゃ寂しくて、一緒に寝てくれませんか…?」なんて!なーんーてえー!」

キャー!と嬉しそうに騒ぐ黄瀬の顔面に来るのは黒子の拳。

商売道具であろうとなかろうと、今の黒子には関係ない。

そしてその拳を含む黒子の手は、黄瀬の看病の支度をしている。わけではない。

黄瀬の妄想が長くなりそうだと判断した黒子は、自分のカバンの中をがさがさと探って単行本を手に取ると、ぱらりとページを捲くった。



「…ねえ、黒子っち。」

「なんですか?」

「オレの話聞いてる?」

「聞いてますよ。心の耳で。」

「それはオレの愛を聞いてくれればいい!とりあえず物理的に聞いて!」

「はいはいはいなんですか。勝手に喋ってください。」

熱を計ろうと、そっと黄瀬の額に自らの手を伸ばせば、黄瀬にその手に指を絡められる。

そしてその指をぐりんと捩じって反対方向へ曲げれば、ギブギブと黄瀬の反対の手がベッドを叩いた。


「…黒子っち、咄嗟に恋人にそういう仕打ちができるってある意味才能っスよね。」

「今おかしな単語が聴こえたんですが。僕も風邪ですかね。」

「黒子っちなんて恋の病にかかってしまえ。そしてオレを愛せばいい。」

「かかったら2号をめいっぱい愛でますよ。」

「黒子っちは動物に優しいっスね。オレそんな黒子っちが好きっスよ。」

「ええそうですね。君も動物みたいなもんですからね。」

じゃあもう少し優しくしてくれると嬉しいかな、なんて黄瀬は言えない。

言ったところで、今度は腹に拳が入るだけだと知っているからだ。



「黄瀬君、薬は?」

「あー、オレ、市販の薬じゃ強いみたいで、合わないんスよ。」

「なんでそういうとこばっかりデリケートなんですか。」

「まるでオレが日ごろ鈍感みたいな言い方するんスね。」

病人は黙ってください、と、額をはたかれた。

その瞬間、額が冷たくなったと思ったら、熱を下げるシートが貼ってあった。

そろりと手で触れば、剥がしちゃだめですよ、と注意の声。


剥がさないよ。黒子っちが貼ってくれたんだもん。

言いそうになって、思わず咽てしまう。



「…ほら、薬が飲めないなら仕方ないですから、水飲んであったかくして寝てください。」

「黒子っちやさしーい。」

「火神君が優しくしてやれって言ったんです。じゃなきゃ誰が好き好んでこんなこと。」

「舌打ちはせめてオレの居ないところでお願いします!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ黄瀬を横目で見る。

病人の割には無駄に元気だ。



ええ、まあ、火神君は確かに言いましたよ。

メールくらいしてやれってね。




「……黒子っち?」

「…なんでもありませんよ。」

寝てください、と言えば、大人しくそれに従ってくれる。

ああ、やはり体調が悪いのだろうか。

バカみたいに騒ぐから。


「ほら、寝るまでここに居ますから。」

「え。」

「え、じゃないでしょう。君は放っておくとふらふら動き回りそうですからね。」

「いや、そうじゃなく、」

「じゃあ何ですか。」

「いや、ええと、うつっちゃうよ…?」

「うつるんなら、もう今の時点でとっくに手遅れですよ。」

ほら、黙って早く横なって目を瞑って寝てしまいなさい。

黒子が無言でそう制せば、黄瀬は大人しくもふりと布団を被った。


「寒くありませんか?」

「懐が寒いから黒子っちを抱いて寝たいところだけど、今日は我慢する。」

「火神君でも抱いてたらどうですか。あの人体温高そうです。」

「いやオレ今黒子っちって言わなかったっスかね。」

「火神君は多分風邪ひきませんから。」

「ああ、遠まわしにバカって言ってるんスね。」

まあそうだね、バカは風邪をひかないなら、火神っちは一生風邪とは無縁っスね。

それでも、本人に今の会話を聞かれたら怒られるんだろうなあなんて思う。

そんなことを考えては、バカの具合ならオレも似たり寄ったりなんじゃないかなんて思えてきてしまって嫌になる。



「…ねえ、黒子っち。」

「なんですか?早く寝てくださいってば。」

「ひとつだけ、ひとつだけ答えて。」

「何ですか?」

「オレって、ひょっとしてバカじゃないんじゃないっスかね。」

「そんなバカな思い違いをするくらいにはバカですよ安心して眠ってください。」

ほら、と言いながら、黒子は黄瀬の布団を掛け直した。

首のあたりまですっぽり隠れるくらいまで布団を上に上げると、その時の風で、黄瀬の前髪がちらりと揺れた。

仕上げとばかりに、布団越しにぽんぽんと鎖骨の辺りを叩いてやる。

そうすれば、黄瀬はにへらと笑った。



「ほら、もう寝てくださいな。君が起きるまで、ここに居ますから。」

「さっきは寝るまでって言ったのに?」

「起きた時に誰も居ないと、寂しいでしょう?」

ね、と、まるで子供をあやすように言われてしまえば、はい、と大人しく返すしかなかった。






「おやすみなさい、黄瀬君。」

「うん、ありがとう、黒子っち。」







+++




「…やっと寝た、んですかね…?」

ひょいと黄瀬の顔を覗きこめば、すうすうと眠る姿。

熱も大したことなかったし、このまま大人しく眠っていてくれれば、すぐ治るだろう。



それにしても、海常の笠松から連絡があった時には、本当に驚いたものだ。

黄瀬が普段練習を無断で休むことなんてないんだが、それでも今日は連絡が来ない。

黄瀬がどこにいるか知らないか、と。


急遽出なければいけない仕事があったのだろうかと思いつつも黄瀬の家に確認に行って見れば、ソファにごろりと横たわる黄瀬の姿。

携帯はその手から落ちたのだろう、カバーが外れて、中の電池パックが出てしまっていた。



部屋に運びたいものの、どう頑張っても黄瀬を運ぶだけの力は自分にはない。

火神か青峰でも呼ぼうかと思ったが、どちらにせよ時間がかかるので止めた。

仕方なく本人を起こしてベッドに行くように言えば、なぜか意識を取り戻した時にはわりと元気だった。





そんなわけだけれど、ソファに横たわる黄瀬を見た時、正直、少しだけ安心してしまった。

もちろん吃驚はした。

それでも、事故に遭っただとか、事件に巻き込まれただとか、そういうものでなかったから。

そんなことを言えば小説の読みすぎだと言われるから言わないが、想像というものは、嫌な方向にこそ進んでいくものなのだ。





「…心配なんかかけないでくださいよね、バカわんこ。」



ああ、笠松先輩に、連絡を入れておかないと。

そんなことを考えながらちらりと黄瀬を見やれば、何でもないような顔をして眠っていた。





「…間抜け面。」




僕に心配掛けさせるなんて、いい度胸です。

罰として君は、今日僕をここに泊めること。

今度マジバで僕にシェイクを奢ること。

そして、完全に治ったら何より先に、僕に逢いに来ること。





数時間後に起きた黄瀬はそれを聞くと、その瞬間に力一杯黒子を抱き締めた。





+++



ナントカは風邪引かない。