「僕は、君のことが嫌いです。」 告げられた言葉に、いつものように笑って誤魔化すことなんてできなかった。 小さな言葉 「黒子、うっとーしい。」 「失礼ですよ。どうしたの?くらい優しい言葉掛けてくれてもいいじゃないですか。」 「ケースバイケース。今のお前にはこれくらいがちょうどいいと判断した結果だ。」 「…なんですか、それ。」 火神の言い草に黒子は少しだけ表情を緩めたものの、どこかぱっとしない。 それが分かっても、火神は何もしてやれないのがもどかしくてたまらない。 授業中も部活中も、黒子は(いつもないが、それでもいつもより)どこか覇気がなかった。 それに気づいた火神が部活が終わった後、鬱陶しい、と声をかければ、帰ってきたのはいつも通りの口調。 正直なところ、どうしたんだ、と聞いたところで、黒子が本当のことを話してくれる気がしなかった。 悔しいなあ、と、素直に思う。 隠さなくていいんだ、辛いって言っていいんだって言ってやりたい。 言ってやりたいけど、黒子が望んでいるのはオレからの言葉じゃないから。 「…よし、マジバ行くぞ。シェイク奢っちゃる。」 「あ、助かります。」 「何、助かるって。」 「今月新刊目白押しでピンチだったんです。」 黒子らしい理由に、火神はそうかそうかと笑って返した。 これくらいしかしてやれないけど、お前が元気ないのはつまらないから。 (早く、憎たらしさ満載の返事をするお前に戻れよ。) +++ 「オレ頼んどくから、お前席取ってて。」 「はい。」 荷物持っていきしょうか、と黒子が火神に聞けば、いいよ、とぶっきらぼうに返される。 黒子はそれが彼なりの優しさだと知っているから、そうですか、と返して、窓際の席についた。 「……やっぱり、バレちゃうもんなんですかね…。」 誰に言うわけでもなく呟いた黒子の言葉は、しっとりと窓の外に消えた。 いつも通りに振舞っていたつもりなのに、やはり火神に気づかれてしまった。 それに驚いたと同時に、どこかくすぐったさを感じる。 だけれどそれじゃだめだ。心配かけてはいけない。 それでも、それでも、 「…おい。何一人で百面相してんだ。」 「……そんな微妙な表情わかるのなんて君くらいですよ。」 ほい、と火神から差し出されたシェイクに丁寧に礼を言って受け取る。 ストローを吸えば、甘い味が口の中いっぱいに広がる。 「……で?」 「…?」 「お前、何でそんなに今日様子が変なんだよ。」 「………。」 火神とて、こんなに直球に聞くつもりなど元々なかった。 だけれど変化球なんて高度な技、日本語が色々危うい火神にできるはずもなく。 結局は直球ド真ん中だ。仕方ない。 それに黒子は、うーん、と返して、なんでもないことの様に続けた。 「…嫌いです、って、言ったんです。」 「黄瀬にか?」 「はい。」 昨日学校帰りに逢ったときに。 いつも通り黒子にべたべた接触してくる黄瀬を一旦はがすと、そう告げたのだ。 だから、もう逢いに来ないください。電話もメールも、しないでください。と付け加えて。 隠すことなく火神にすらすらと話した黒子は、ず、とシェイクを啜った。 それに火神は少し困った表情をすると、なあ、と話しかけた。 「はい?」 「…なんでお前、そんな正直に話してくれんの?」 いつも嫌がって話さねえじゃん、と不思議そうに火神が言えば、そうですかね、と黒子がのんびり返した。 その会話の途中途中に火神の胃には猛スピードでバーガー類が消えていっている。 「…だって、火神君に隠し事しても、大体は白状させられますし。」 だったら最初から言ってしまおうかと。と黒子は付け加えた。 それに火神は、ああそう、と一人納得したようだ。 「…で、なんでそんなこと言っちまったんだよ。お前、あいつのこと好きじゃん。」 「嫌いですよ。」 「アホ。お前、黄瀬といるときの自分の顔、鏡で観察してから言え。」 いつだって迷惑で鬱陶しくて邪魔で、というオーラを黄瀬に向けて罵倒しているものの、ほんの少し、本当にたまに、ふわりと表情が緩むときがあるのだ。 その笑顔はきっとあいつ以外には引き出せないし、向けてもらえないであろうことは、火神はよく知っていた。 悔しいから教えてはやらないけれど。 「ケンカでもしたのか?」 「ケンカなんかしてません。ただ嫌いだからです。」 嫌いだから。嫌いだからもう傍にいたくない。理由は簡単なのだ。 「きらい、だから…。」 もう一度、自分に言い聞かせるように言った黒子を見て、火神は席を立った。 トイレ行ってくる、と言った後に、バーガー好きなの食っていいぞ、と付け加えて。 黒子はそっと窓の方を見ると、窓に映る自分の顔が、とても情けないことに気づいた。 感情を顔に出さないことには長けていたはずだった。 むしろ多少出してところで、気づかれないはずだった。 それなのに、自分の表情に気づいてくれる人が増えて、それに無意識に甘えてしまっている。 それじゃだめだ。 そこまで考えたところで、自分の頭をべしりと叩かれた感覚がして、慌てて後ろを振り返った。 「今度は何考えてやがる。もうこの際全部言っちまえよ。楽になるから。」 火神が乱暴にそう言えば、黒子は、取調室みたいですね、なんて思っていた。 悪いことなんてしていないはずだけれど。 少しだけ息を吸うと、黒子は席に着いた火神に目線を合わせた。 「……ねえ、火神君。」 「あ?」 「…僕は、黄瀬君といて、いいんでしょうか。」 彼はとても恰好良くて。 彼はとても優しくて。 彼はとても暖かくて。 僕にはとても、もったいないひと。 どの面を取ったって彼に釣り合わないことなんて分かっている。 外見だって能力だって、何一つ追いつけない。 勉強を少し自分がリードしているくらいでは、マイナス面は隠しきれない。 将来的に彼の邪魔になることなんて分かっている。 バスケでもモデルでもなににせよ、彼の将来に、自分が居ては傷がつく。 性別はもちろん、こんなに冴えない自分を彼が選んだことは、彼自身の評価にもつながるのだろう。 あとで離れるのなら、今離れた方が楽だってことくらい、分かっていた。 時間が経てば経つほど離れがたくなる。 自分を好きだと言う彼の手を握ってしまいそうになる。 だったら、傷が深く抉れる前に離れてしまえばいい。 「…そうやって、思ってたんですよ。僕は、本気で。」 「…ああ。」 「………なのに、もう、彼にああ言ったことを後悔している自分が居るんです。」 時間が経つにつれ、心臓の大切なところを抉られたような痛みは増すばかりで。 小さな後悔が、体のすべてを侵食してしまいそうな勢いで。 「……あのさぁ、」 「はい?」 そっと火神が口を開くと、我に返ったように黒子は返事を返した。 「お前、それ、黄瀬に言ったか?」 「…言ってません…。」 「それ、言ってやれよ。」 「……言え、ませんよ。」 ただ嫌いと告げて、僕のことを酷いやつだと記憶に植え付けてくれればいい。 そして僕を嫌いになって憎んで、僕を好きだったことは過去の失態だったと思えばいい。 そうすれば僕に対する未練も消える。彼は何も背負わない。 そうして普通に、普通に生活を送っていってほしかったのだから。 「…黄瀬はきっと、お前がそういうこと考えてるの、分かってたんじゃねえの?」 「え…。」 いきなり思いがけなかった言葉を告げられて、黒子はいつのまにか俯いていた顔を上げた。 そして火神を見れば、少しだけ笑っている。 「あいつ、適当な性格に見えっけど、ひょっとしたらお前が言いだしてくれるの、待ってたのかもしんねーぞ。」 「………。」 「その上で、いつも通り過ごしてたんじゃねーかな。」 火神が窓の外を見てそう続ければ、黒子は、どうして、と呟いた。 「どうして、火神君、そんなこと思うんですか…。」 黒子が腑に落ちないという表情で聞けば、オレならそうするから、と返って来た。 「オレが黄瀬の立場だったら、待つから。無理やり聞いてもいいけど、オレを信じて話してくれるのを待ちたい。」 ま、あいつの考えなんて知らねえけど、とそっけなく火神は続けた。 ああもう、この人にはかなわない。 黒子はそんなことを思うと、火神の盆に乗った大量のバーガーを、ひとつくださいね、と取った。 そうすれば、おう、と軽い返事が聞こえる。 はぐ、とバーガーに齧りつけば、まだ暖かいそれに、不覚にも泣きそうになってしまった。 火神君ごめんなさい。こんなに弱いところばかり見せてしまって。 火神君ごめんなさい。いつだって君に頼ってしまって。 黒子がひっそりと心の中で謝れば、火神はそんな黒子の頭をやっぱりべしりと叩いた。 「ちょ、あんまり叩くとバカになるじゃないですか。」 「今以上バカになることはないから心配すんな。」 「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。」 「かわいくねえ…。」 「別に君に可愛いだなんて思ってほしくないから結構です。」 そんな風に言いあって、少しだけ間を開けて、二人で笑った。 火神君、いつもごめんなさい。 そして、ありがとう。 +++ 「…さて、誘っといてわりィんだけど、オレ、ちょっと用事あるもんでそろそろ帰らねぇ?」 「あ、はい。すみません。僕も帰ります。」 二人立ち上がって、いそいそと帰り支度を進める。 出ようとして扉を開けると、ありがとうございましたー、と間延びした店員の声が聞こえてくる。 そして店から出ると黒子は、車は来てないか、と何気なく右を見た。 そこで見つけたものに黒子は目を丸くすると、隣の火神を見上げた。 「…じゃ、オレは帰るな。」 「え、ちょ、かがみく…!」 「じゃーな、黒子。黄瀬も。」 火神の追加された言葉に、この目の前にいる人は幻覚ではないことを思い知る。 どうして、と思っていれば、その本人がからからと自転車を引いて、黒子の目の前まで来た。 「…ごめん、逢わないって、言われたのに…。」 逢いに来ちゃったっス、と、おどけたように黄瀬は続けた。 「……ど、して…。」 「…とりあえず、もう遅いし、家送るっスよ。」 後ろ乗って、と言われ、少し戸惑ったものの、黄瀬の自転車の荷台に跨る。 それでも目の前の彼に掴まるのはどうしても抵抗があって、荷台に掴まった。 かしゃん、と軽く音がして、自転車が走る。 風が頬を掠めて、涼しいような寒いような、そんな感覚だ。 黒子が何も言えないでいると、黄瀬が先に口を開いた。 「…火神っちから、さっき電話があったんスよ。ここにいるから、黒子を迎えに来い、って。」 「……あ…。」 そういえばトイレに行くと席をはずしていた時、やけに長いなとは思った。 だけれどまさか、そのときに、電話をかけていたなんて。 「……黒子が悩んでんだ、って、言われて。」 ごめんね、オレ、昨日黒子っちに言われたことで、頭いっぱいになってたっス。 黒子っちが色々悩んでるって分かってたはずなのに、自分勝手だったっスね。 ごめんね、と優しい音声で言われて、ふるふると黒子は首を振るしかない。 黄瀬は後ろを向くわけにはいかなかったため、それを横目で見ていた。 「…黒子っちが嫌がっても、もっと聞いておくべきだったって、反省したんス。」 そうしたら二人で考えて、二人で悩んで、二人で結果を出すことができた。 それができなかったのは間違いなく、オレのせい。 黄瀬はもう一度、ごめんね、と呟いた。 黒子は何も答えず、ただ周りの景色を、伏せ目がちに見ているだけだった。 街灯と建物の明かりが、視界に入っては消えていく。 そんな様子を、黒子はずっと見ていた。 時たまに上を見上げれば、星はあまり見えないものの、月だけは良く見える。 月明かりで自分たちの影が道路に映る。 黒子はそれに何気なく自分の片足を上げると、影の自分も同じように片足を上げた。 ああ、光の彼が、影の僕と一緒にいる。 視線を下げれば、どちらも影だというのに、それでも間違いなく、彼は光なのだ。 「……黄瀬君。」 「うん?」 黄瀬の制服のシャツを軽く引くと、優しい音が頭の上の方から降ってくる。 ああ、この音が心地よくて、僕は手放せない。 「ごめんなさい。好きです。」 言った瞬間、自転車がぐらりと大きく揺れた。 黒子はつい、慌てて落ちないように目の前の黄瀬の背中に抱きついた。 「……っ、黒子っちごめん!大丈夫っスか!?」 「………あ、はい。…大丈夫、です。」 今離れるのもあからさまな気がして、黒子はそのまま黄瀬の背中に頬を寄せた。 目の前の背中が強張っているような気がしたのは、きっと自惚れじゃない。 なんとか体制を黄瀬が整えれば、黒子がほっと息をついた。 それに黄瀬は気づくと、自分の腹の部分に回っている黒子の手に、そっと片手を置いた。 もう片手はあたりまえだがハンドルを握っている。 「…黒子っち、嘘じゃないよね?」 「冗談は嫌いです。」 「でも、嘘はつくよね。」 「………。」 だって、さっきの言葉が本当だったら、昨日の言葉は嘘でしょう? 逆に、さっきの言葉が嘘だったら、昨日の言葉が本当でしょう? 「ごめんなさい。」 黒子がそんな風に言えば、どうして?と黄瀬は優しく促す。 黒子はそれにもう一度、ごめんなさいと呟いた。 「ごめんなさい。」 君のことを考えたフリをして、僕は自分の逃げ道だけを守っていた。 君のため、なんて、結局は自分のためだった。 自分が傷つかないための行為を、全部全部君に押し付けていた。 僕は結局、自分を護って、君に酷い言葉を浴びせた。 「ごめんなさい。」 君が君を責めているだなんて思わなかった。 僕は自分に都合よく、ただ君が僕のことを嫌いになればいいと思っていた。 優しい君が僕を責めて嫌いになるだなんて、良く考えれば、ないことだなんて分かっていたのに。 「ごめんなさい。」 それでも僕は、やっぱり君を諦めることができませんでした。 黒子の泣くことを我慢するような音声が、黄瀬は自分の背中から聴こえる。 いっそ、泣いてしまえばいいのにと思う。 泣いて泣いて泣いて、ただ本能のままに動いて、わがままを言って、眠ればいいのに。 「……ねえ、黒子っち。」 「………はい。」 「きっとねえ、黒子っちが思ってるほど、オレ、すごい人間じゃないと思うんスよ。」 「そんなことっ、」 「ううん、きっとね、黒子っちの方が、きっともっとすごい。」 いいところなんて挙げたらキリないんスけどね。 でも言えって言われたら、オレ、何十時間でも言い続けられるよ。 「きっとね、黒子っち、たくさん難しいこと考えてると思うんスよ。」 でもね、それはひとりで考えることじゃない。 オレを好きだって認めて。 そうしたら、二人で考えようよ。 ね、と黄瀬が確かめるように言えば、黒子は返事の代わりに、抱きつく腕の力を強めた。 きっと大変なことなんていくらでもあって。 泣いたって喚いたってどうしようもなくなることがあって。 我慢なんて苦しいほどしなくちゃならなくて。 それでも今は、この傍にある体温を離したくはないのだと。 この体温が幸福なのだと。 そういうことじゃ、だめなんですかね。 駄目なら、二人で考えよう。 昨日も今日も、色々ありすぎて疲れたからね。 明日になったらたくさん抱き締めてキスをして笑いあって。 それで考えよう。 「そういえば、オレは言ってなかったっスね。」 一度だけゆっくり自転車を止めて黄瀬は後ろを振り返る。 そうして綺麗な顔で月をバックに微笑んだ。 「愛してる」 ただもうお互いを離す気はさらさらないので、結果が「別れ」なのは避けましょうかね。 +++ 黄黒のかがみんは母親的父親的な感じで、黒子をとても愛しているのです。