少しだけ、普段よりも声が高くなる。 少しだけ、普段よりも声が柔らかくなる。 少しだけ、普段から、沈んでゆく。 優しいと感じるのは、きっとあなたの音だからね ひたひたひたひた。 窓の外で雨が降る。 それと同時に、優しい音が、降ってくる。 耳に、手に、顔に、空気に。 優しい音が自分から遠ざかる。 雨の音だけが残る。 この感覚を、人は恐怖と呼ぶのだろうか。 「……きせくん。」 「ぅおっ!」 びく、と目の前の体が跳ねた。 別に驚かれたことに関しては何とも思わない。 だって、寝ていたと思っていた人間から急に声をかけられれば、普通は驚く。 しかも、彼は今、 「……あ、黒子っち起きたんスか。」 「…はい。すみません、ベッド占領してしまって。」 「いいんスよ。黒子っち、疲れてたもんね。」 そう言ってふわふわと髪を撫でられる。 優しい手つきに、思わずもう一度目を瞑ってしまいたいと思う。 金曜の部活帰り、黒子は黄瀬の家に来ていた。 明日は土曜のため、黄瀬の家に泊まりに。 それなのに家について早々、部活での練習が響いているのか、黒子はとても眠くなってしまって。 夕飯作ったら起こすから寝てて、という黄瀬の言葉に甘えて、ベッドを借りて寝かせてもらった。 そうして寝ながら聴いた、優しい、彼の音。 「………黄瀬君、歌…、」 歌ってました?と黒子が聞くと、黄瀬は、あー、と唸って続けた。 「たまに無意識に歌っちゃってるんスよ。恥ずかしーっス。」 うるさかった?ごめんね?と黄瀬は少し困った顔になって聞いた。 それに黒子がふるふると首を振ると、そう?と、今度は笑った。 「……黄瀬君、て……、」 「ん?なんか言った?」 「や、なんでもありません。」 「えー気になるっスよー。」 ねーねー、と黄瀬は黒子に詰め寄ると、顔を至近距離にまで近付けた。 黒子はそれに、ごく自然に黄瀬の首を逆方向に捻った。 ばき、と鳴った音は幻聴だ。 「気にしないでください。」 「……気になるっス。ついでに痛いっス。」 「忘れるように鉄パイプで頭をぶん殴って差し上げましょうか。」 「あ、今オレの記憶がハイスピードで消えていったっス。もう大丈夫。」 オレ最近記憶力悪いっスからね、うん。と一人自己完結した黄瀬を見て、黒子はひとつため息を吐いた。 言ってなんて、絶対にやらない。 +++ 「黄瀬君、僕眠いんで、もう寝てもいいですか。」 (黄瀬に纏わりつかれながら)ご飯も食べて、(一緒に入りたがる黄瀬を柱にくくりつけてひとりで)風呂も入って。 さてこれであとは寝るだけだ。 今日の部活は色々と地獄だった。 主に監督から課せられたメニューが地獄だった。あの練習風景は地獄絵図と大差ない。 そうして黒子が言えば、え、とテレビを見ていた黄瀬が、扉口に歩いて行く黒子を見た。 「もう寝ちゃうんスか?」 「はい。眠いです。」 「…もうちょっと、こう、いちゃいちゃとかー…」 「どうせ明日もあるんだからいいでしょう。」 僕は眠いんです。疲れたんです。と逆らえないオーラが黒子から滲みでている。 それに黄瀬が逆らえるかといえば、もちろん答えはノーだ。 「んー…。…じゃ、オレはもうちょっとしてから寝るっスわ。まだちょっと眠くな、」 「黄瀬君。」 「え?」 言葉を遮って呼ばれた名前にきょとりとしていれば、黒子が言いにくそうに口を開いた。 「………お願いが、あるんです、が。」 続けて控えめに告げられた言葉に、やっぱり黄瀬がノーを出すはずがなかった。 +++ 黄瀬君って、とても、優しい歌い方をするんですね。 思わず口から出そうになってしまった言葉。 時々混じる英語の歌詞も、とても綺麗に歌えていて。 違和感がなかったことに逆に違和感を覚えてしまう。 モデルの仕事に歌手の仕事が加わっても、やっていけるんじゃないか。 そんなことをふと思ってしまったことは、本人には内緒だ。 それでも、この音が冷たい機械を通して自分の耳に入る様子を想像したくはなかった。 やさしいものは、やさしいままでいて欲しい。 雨が、まだ止まないのだから。 「………こんなに喜んでもらえるなんて、ね。」 黄瀬はとなりですうすうと寝息を立てる恋人の髪をそっと撫でた。 黒子の手は黄瀬のシャツを握ったままで、黄瀬は黒子の隣に寝転がったまま、身動きが取ることを許されない。 「ほんっと、可愛いんだから。」 ちう、と黒子の髪に隠れた額に口づけて、黄瀬は呟いた。 子守唄を、歌ってくれませんか。 扉の前で小さな声で呟かれた言葉に一瞬呆けたけれど、その後すぐにOKの返事を返せば、黒子は少しだけ表情を緩めた。 そうしてベッドに二人で横になると、もふ、と枕に黒子の頭を沈んだのを見て、黄瀬はそっと歌った。 時折黒子の髪を混ぜたり、頬を撫でたりしながら。 その度に黒子が気持ちよさそうに目を細めるものだから、たまに声が上ずってしまうこともあったけれど。 それでも、自分の声を聴きながら夢の世界へ落ちて行ってくれるのが、とても嬉しかった。 そっと黒子の頬に指を滑らせた。 触り心地のいい頬は、今は半分ほど髪で隠れてしまっている。 「こんなに優しい表情で眠ってくれるなら、毎日だって歌うっスよ。」 ねえ、大切な君へ、愛される歌を。 ひたひたひたひた。 雨が降る。音が降る。 雨に濡れる。音に溺れる。 しとしとしとしと。 雨が止む。音が止まる。 雨が乾く。音は消える。 でもね、もう、大丈夫。 優しい歌があるからね。 君がここにいるからね。 他でもない、君が。 +++ 雨が怖い黒子と、それを紛らわせる黄瀬の子守唄。