ただただ、それで充分だと思うんだよ。






簡単で単純で純粋ことも、

なんて複雑えるのだろうね。







「甘えてみようと思ったんですよ。」

「ああ。」

「色々試してみたんですよ。」

「ああ。」



「…その度に、ものすごく微妙な表情されるんですよ。」

「……そうか。」


勉強面では自分よりも遥かに良い成績を取るはずの相棒の脳内を、火神は一度覗いてみたいと思った。

多分、思考回路が複雑になっている場所と単純になっている場所があるのだろう。

で、その使い勝手がものすごく悪いのだろう。


「お前、いっそ少女漫画でも読めば。」

「一度開いてみたらきらきらふわふわでページを捲くることを手が躊躇っていました。」

「一度は開いたんだな。努力は認める。」

でもその努力は間違った方向へと行ったわけだ、とは言わなかった。

黒子の頭が机に伏せってしまったからだ。


腕に頭を埋めた状態の水色から、ぼそぼそと声が聞こえてくる。

僕だって、頑張ろうとしたんですよ、と。



例えば、そっと手を繋いでみた。

なんだか柄ではない気がして、うっかり腕を捻りあげてしまった。


例えば、後ろから抱きついてみようとした。

力一杯飛びついたせいで黄瀬が支えきれずに、黄瀬の顔面が電柱に激突した。


例えば、自分から電話してみた。

何を言えば良いかわからず、何も話さないまま電話を切るというただの嫌がらせになってしまった。


例えば、メールで気持ちを伝えようとしてみた。

結局送信ボタンが押せずに、そのメールは未送信のまま、結局削除した。




「それから、後ろから制服の裾をちょんと掴まれるのなんか男性は嬉しいらしいので、試してみたら何か違ったらしくて。」

「その通りにやったか?」

「ええまあ。」

こんな感じに、と目の前に居た火神の制服を掴んでみれば、この間の黄瀬と同じような顔をされた。

やはり何かが違うらしい。


「……そりゃ、お前、背中鷲掴みにされたら反応にだって困るだろ。」

「どうしたらいいかわからなかったんです。」

「裾少し掴みゃいいじゃねえか。今お前が自分で言ってたように。」

「あれは女の子がやるから可愛い仕草であって、僕がやって可愛いと思えません。」

「いやでも背中鷲掴みするよかマシだって。」

な、とシャツを掴んだままの手を外そうともせずに言われれば、そうですか、と言うしかない。

それでも、他に方法が分からなかったのだ。



「てか、なんでいきなり黄瀬に甘えたいなんて言い出したんだよ。」

「いえ、この間、黄瀬君が言っていたんです。」

「何て。」

「甘えていいよ、って。」


そっと口を噤めばすぐに思い出せる。

甘ったるい声と笑顔で言われた、甘ったるい言葉。



黒子っちはもっと、オレに甘えて良いんスよ、と。

唐突に言われたことを。








「あ、もちろん無理してべたべたしてほしいってわけじゃないんスよ。」

弁解するかのように、黄瀬は少しだけ右手を振った。


「じゃあこのままでいいじゃないですか。何か不服ですか。」

「まさか。黒子っちに不満なんてあるわけない。」

間髪いれずに返って来た言葉に、黒子少し眉を寄せた。

まるで自分が何を言うのか知っていたかのようで、少しばかり気にくわなかったのだ。


そんな黒子の様子を見ると、黄瀬は少しだけ表情を動かした。

顔のひとつひとつのパーツは大して動いていないのに、なぜだか雰囲気までもが変わっていた気がする。


そんな黄瀬に何も言わずにいる黒子に、黄瀬は、ただね、と小さな声で話しかけた。


「ただね、黒子っちって、弱みとかオレに見せないでしょ。」


だから、辛くならないように。

自分を受け止めてくる場所があるって分かれば、安心して無茶も出来るよね。



ね、と、どこか確信を持った笑顔。

柔らかく、しかしはっきりとした声で紡がれる言葉たち。

それはなぜだか、ゆっくりと浸透しながら、自分の心に落ちてきたのだ











「…黄瀬君が、言ったから。」

へへ、と照れ隠しで笑った彼に宛てて。


本当は、わざわざ甘やかしてくれなくても大丈夫なのだと。

ただそこに君が居れば十分なのだと。

これら感情を、渡すことが出来るように。



だから、だから。



「ちょっと、頑張ってみようかなと思ったんです。」

でもやっぱり、向いてないんですかね。




呟いて、再び机に伏せた。

ふわふわと髪を撫ぜてくれる前の席の彼の手は、少しだけ、黄色の髪を持つ彼の手に似ている。



「つかお前、そうやって素直にアイツに言やあいいじゃねえか。」

「それはちょっと勘弁してほしい感じです。」

「なんでだよ。」

「癪に障るので。」


きっとあの彼にこんなことを言おうとすれば、少しばかり普通では居られなくなる。

心音が無駄に大きくなって、無駄に早くなることだろう。

体中の血液が、まるで逆流しているような感覚がするのだろう。

それは明らかに、僕の体の異常を示してしているのだ。




「素直じゃねえ奴。」

「生憎、それが取り柄なもので。」

言えば、あーあ、と笑いながら呟かれた声が耳に届いた。

その声はとても優しく、心地良い音だった。




「そうだなあ、要約するとアイツを安心させたいんだろ?」

「まあ、大まかに言えばそれも間違いではないです。」

「ひねくれ者め。」

少しだけ火神は笑うと、そうだなあ、ともう一度言った。


「普段の勉強の礼に、いいことを教えてやろう。」




いいか、と言いながら立てられた火神の人差し指は、少し乾燥して、カサついていた。












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